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東京高等裁判所 昭和49年(行コ)39号 判決 1975年10月29日

控訴人 法務大臣 ほか一名

訴訟代理人 千種秀夫 伴義聖 荒木文明 ほか二名

被控訴人 金浩司

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  被控訴人の密入国及びその退去強制手続の経過に関する請求原因1・2の事実は、控訴人らの認めるところである。

二  被控訴人は、まず、控訴人法務大臣のなした本件裁決及び控訴人主任審査官のなした本件発付処分の違法事由として、政治・犯罪人不引渡の原則、政治難民及び離散家族保護の確立した国際慣習法並びに憲法第九八条第二項の規定に違反すると主張する。

しかし、後記三で認定のとおり、被控訴人は、留学の目的で密入国したものにすぎず、また、当時同人の父は韓国国民登録をなし、反政府団体ではない民団に属していたのであつて、被控訴人が、その主張するような政治犯罪人ないし政治難民に該らないことは明らかである。また、被控訴人の家族が、いわゆる離散家族にも該らないことは、後記三の認定どおりであり、被控訴人の前記主張は、いずれも理由がないものと言い得る。

三  そこで、控訴人法務大臣が、本件裁決をする際、出入国管理令(以下「令」という)第五〇条の規定による特別在留許可をしないと判断したことに、裁量権の濫用ないし逸脱が存するか否かにつき検討する。

(一)  <証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すれば、被控訴人の生い立ち及び密入国の事情等につき次の事実が認められる。<証拠省略>中同認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

1  被控訴人の父金浪坤は、一九〇七年(明治四〇年)生れの韓国人で大正一五年八月朝鮮から内地(愛知県)に渡り、陶器製造の見習工、靴修理業、古物商等を転職し、昭和一二年に金畢礼と結婚して横浜市に住み、その間に金正鉉(長男)及び被控訴人(二男)をもうけた。

2  被控訴人の母は、昭和一六年一二月二四日に朝鮮で被控訴人を生んだ後、直ちに同人とともに内地へ戻つたが、昭和一九年夏ごろ二子を伴い朝鮮に疎開した。

当時、金浪坤は、航空機の部品製造に従事していたため、単身内地に残つたのであるが、昭和二二年ごろ石塚ヒロと内縁関係を持つようになり、昭和二三年ごろ同女及びその連れ子五人とともに仙台市へ転居して古物商を営むに至つた。その後も、金浪坤は、石塚及び連れ子と平穏な家庭を持ち、朝鮮の妻子に仕送りをする一方、石塚の子らには高等教育を受けさせ、昭和三〇年ごろ仙台市に不動産を所有するに至り、安定した生活を送つていた。なお、被控訴人の弟として金正用が一九四九年(昭和二四年)八月二三日に金浪坤と金畢礼との間に韓国で出生した旨戸籍上に記載されているが、金浪坤は、自分の子であることを否定している。

3  被控訴人は、朝鮮に疎開後、祖母・母・兄・弟とともに生活し、三名の男子はいずれも大学教育を受け(被控訴人の兄及び弟はともに医学部に進学)、生計は相当豊かであつた。被控訴人は、昭和三九年二月ソウル大学工学部建築工学科を卒業したが(右卒業の事実は、当事者間に争いがない。)、それ以前から日本に留学する希望を抱き、その旨を在日の父に伝えていた。

そこで、金浪坤は、被控訴人のために、東北大学工学部建築学科の研究生として昭和三九年七月六日附の入学許可を得たが(右事実は、当事者間に争いがない。)、これよりさき、被控訴人は、韓国外務部に対し、父の病気見舞を理由として被控訴人の旅券発給を申請し、同年七月九日附でその発給を得た。被控訴人が右出国の目的を留学としなかつたのは、日韓両国間に正常な国交関係がなかつた当時において、留学を目的とする旅券の発給を受けることは困難であるとの韓国旅行社の進言によるものであつた。

また、金浪坤も、同人の病気見舞を理由として、被控訴人のために日本国政府の査証を申請し、同年一〇月八日附で右仮入国の許可がなされた(右許可があつたことは、当事者間に争いがない。なお、金浪坤が、同年一月ごろ一二指腸潰瘍の診断を受け、さらに同年三月ごろ慢性肝炎兼胃潰瘍と診断され、以後治療を続けていた事実はあるが、重病というほどのものではなかつた。)。

4  ところが、前記旅券の有効期間は一年であり、仮入国の在留期間として許可されたのは六〇日にすぎなかつたので、被控訴人は、不法の出入国によつて留学の目的を果そうと考え、自己の写真を貼りつけて偽造した他人の船員手帳を所持した上、昭和四〇年三月二九日本邦に不法入国した。しかし、東北大学への入学手続の期限である昭和三九年一〇月三一日を徒過していたため、被控訴人は、昭和四〇年五月に明治大学大学院の聴講生となり、昭和四一年四月同大学院修士課程工学研究科建築学専攻に入学した(右大学院に関する事実は、当事者間に争いがない。)。

(二)  右認定事実によれば、被控訴人が不法入国をするまでの間日本に在留したのは、同人の出生直後わずか三年間足らずのことであり、本件密入国の真の目的は、日本の大学で建築に関する勉強をすることにあつたのである。そして、被控訴人の父は、終戦後間もなく日本の女性と内縁関係に入り、その連れ子も一緒に仙台市で平穏な中流の家庭生活を営んで来たのであり、他方、被控訴人の母は、昭和一九年二子とともに朝鮮に疎開後第三子を生んだが、その父は金浪坤ではないもののようであり、被控訴人の父母は事実上の離婚状態にある(前記金証人は、石塚ヒロとは昭和四二年ごろ内縁関係を解消した旨供述するけれども、その理由として同証人の述べるところには合理性が認められないので、右供述部分は措信し難い。)。また、韓国における被控訴人らの生活程度も、決して低いものではなかつた。

したがつて、被控訴人は、その主張するような離散家族でもなければ、昭和二九年七月一四日に開かれた衆議院法務委員会「外国人の出入国に関する小委員会」の決議による在留許可緩和の基準(なお、右決議は、被控訴人の主張からも明らかなとおり、単なる要望であり、また、同基準が行政先例として確立している事実を認めるに足りる何らの証拠も存しない。)や昭和四〇年六月二二日附法務大臣声明にいう「一時帰国者」「戦後入国者」に該当するものでもなく、他に、被控訴人に対し令第五〇条の特別在留許可を与えるのを相当とするような事情は何ら存しないものと言い得る。

(三)  被控訴人は、韓国に送還された場合その生命・身体に重大な危険が加えられることが明らかである旨主張し、前記金証人及び被控訴人(一・二審)は、これに副う供述をしている。

しかし、被控訴人の父金浪坤が昭和二六年ごろ仙台市で在日朝鮮人総連合会の宮城県本部執行委員となり、また同連合会奨学会関係の仕事をしていたという事実については、いずれも信ぴよう性の薄い前記供述が存するのみである。そして、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、金浪坤は、昭和三九年三月二八日附で韓国国民登録をなし、同年四月一三日には外国人登録上の国籍を「朝鮮」から「韓国」に変更登録していること及び同人は、民団(韓国政府から見て反政府団体ではない。)宮城県本部から同年四月一〇日附で「思想堅固身元確実な団員である」旨の身元証明書を得ていることが認められるのであつて、当時同人が韓国政府から敵性視されるような団体に属していたものとは到底認められない。

また、被控訴人は、原審尋問において、徴兵延期の期間が切れたため昭和三九年末ごろ同人に対し召集令状が発せられた旨供述するけれども、これに関する供述内容は極めてあいまいであるのみならず、<証拠省略>に明らかなとおり、被控訴人は、日本での勉学を終えたら韓国に帰るとの意思を終始表明しており、その際、徴兵忌避等による処罰のおそれについては何ら言及していないのであるから、右召集令状が発せられたとの事実は認め難い。

したがつて、被控訴人が韓国に送還された場合その生命・身体が重大な危険にさらされる旨の主張事実は認められないのであり(同人が本件密出国により韓国の法律に従い処罰される事態は予測されるけれども、被控訴人がこれを甘受すべきものであることは、多言を要しない。)、さらに、控訴人法務大臣が、被控訴人に対し、一旦帰国した上改めて適法な手続により入国する機会を与えるため、特別に短期間の在留を許可する旨の裁決をなした(右裁決の事実は、当事者間に争いがない。)にもかかわらず、被控訴人は右期間内に出国しなかつた事実及び前記(一)(二)の認定事実を合わせ考えるならば、同控訴人が被控訴人に対し特別在留許可を与えなかつたことにつき裁量権の濫用ないし逸脱があつたものと言い得ないことは明らかである。

四  さらに、被控訴人は、本件退去強制令書の発付が、その必要性も理由もなく権利の濫用であると主張するけれども、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、すみやかに退去強制令書を発付しなければならない(令第四九条第五項)のであつて、右通知を受けた主任審査官は、令書を発付するか否かの自由裁量の余地を全く有しないのである。そして、被控訴人が令第二四条第四号ロに該当すること及び本件裁決が適法であることは、前認定のとおりであるから、被控訴人の右主張も失当というべきである。

五  以上の次第で、被控訴人の本訴請求はすべて理由がないものというべく、右請求を認容した原判決は不当であるから、これを取り消した上被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺一雄 宍戸清七 大前和俊)

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